普通の人間にすらなれなかったお荷物ビジネスパーソン日記

「普通」の人間にすらなれなかったお荷物会社員の日々 / いわゆる「氷河期世代」 / 惨めに野垂れ死にたくない

福祉や社会保障はお情けや施しではない

 生活保護や各種給付金などの、福祉や社会保障の話題になると「何堂々としてるんだ、乞食の分際で対等だと思ってるのか、わきまえろ」みたいなことを言う人が必ず湧いてくる。

 そもそも福祉や社会保障はお情けや施しではないので「乞食」という概念は当たらないし「わきまえる」ものでもない。こういう人って現代の資本主義/民主主義社会で生きるのに向かないと思う。さぞ大変だろう。

 割と多くの人が「銭の多寡=人間としてのランク」を内面化しているの、寓話的である。というか寓話ってのは現実の社会や人間が元ネタなんだということを再確認。

 さて、「年収n百万以下の人は、払った税金の額より受けている公共サービスの金銭換算額ほうが多い」っていう物言いがある。これ、日本含む多くの国が富の再分配を採用している以上、社会的国家的なカネの収支を計算をすれば「年収n百万円」のラインが算出されるのは当たり前なのである。だから「カネの流れを計算すればそういうラインは出てきますね、富の再分配ってそういうものですもんね」で終わりなのだ。

 ところが、あれを「胸を張って生きる権利の有無のライン」「このラインを超えないと恥じないといけない」「ラインを超えてない奴はお荷物、わきまえろ」と解釈するのがいるのである。控えめに申し上げてなかなかチャレンジングな知能をお持ちだ。

 もちろん内心は自由なのだが、それ表に出すのためらいないですか?と思うし、もう少し言わせてもらえば、普段からそんなこと考えて生きてるの?しんどくない?とも思う。

 

 福祉や社会保障には問題点はあるけど、その問題点を考える時に「福祉や社会保障はお情けや施し」「受益者は乞食なんだからわきまえろ」で始まるのは現状認識がそもそも間違っているので、問題の解決策にはたどり着けない。まあ「乞食」を叩いて憂さ晴らしをするのが目的で解決を望む気もないならいいんだけど。

 もう少し言うと、生活が苦しいなら「苦しい!カネよこせふざけんな!」でいいのに他人を乞食呼ばわりしてどうすんの?と素朴に思う。

 他人を乞食呼ばわりして私の人生や資産や収入が上向くならいくらでもしますけど、そんなことはないですからねえ。あれ?もしかしてそういう「案件」があるの?あるなら手取り1000万円×50年間程度の報酬でいいのでオファーください。