普通の人間にすらなれなかったお荷物ビジネスパーソン日記

「普通」の人間にすらなれなかったお荷物会社員の日々 / いわゆる「氷河期世代」 / 惨めに野垂れ死にたくない

「社会のお荷物」が「世間様」からどう扱われるか

 

  私自身は、発達障害であるかそうかの診断は受けていない。ただ、診断を受ければなんらかの診断名は貰いそうだし、というかそもそも「普通」に生きることができなかった欠陥品なので仮になんらかの診断名がついても驚かない。

 で、自分が「欠陥品」であることで人格が否定され、相模原やまゆり園植松理論により自分が処分粛清される可能性、というのは自分の頭に常に付きまとっていることである。自分はどうあがいても植松某の立場になることはない。そうではなく植松某に「処分」される側だ。

 こんな自分が生きることを「世間様」に「お許しいただける」のはあと何年だろう?社会も世間も「普通」の人たちも日々変わっていくのだ。そういった人たちの「お情け」がなくなった時、自分は生き続けることができるのだろうか?銭の問題とは別に、そういった問題とも向き合わないといけないのが自分の現状なのだ。